やおろぐ

買ったもの摂取したもののログだよ

ちょい上げまつ毛を求めて

まつ毛の長さにだけは、昔から定評がある。

が、結構下向きに生えており、上まつ毛が下まつ毛に引っかかったり、目に刺さったりすることがあるため、不便だった。目尻なんて完全に地面に垂直に生えている。

大学生になると、毎日メイクをするようになった。最初はビューラーでしっかり上げて、マジョマジョのラッシュエキスパンダーやファシオのマスカラをつけてバサバサウキウキしていたが、すぐに気づいた。

 

ぱっちりまつ毛が似合わない

根元から上がったまつ毛がなんか似合わない。ラッシュエキスパンダーはロング効果がすごいのでなおさら変にみえる。これ以上まつ毛が伸びると困るのだ(※マジョマジョ下げの意図はないどころか、マジョマジョはロング効果が圧巻で、カールキープもそこそこ。まつ毛で盛れる人には超おすすめ)。ちなみに、二重と奥二重の間というか、目頭側が収束しているタイプの二重。

 

まつ毛絡む問題

私の超下向きまつ毛は、カールキープ特化マスカラでも下がる。じきに何だかちょうどいい上がり具合になるのだが、そうすると上まつ毛はマスカラを塗ったことで下まつ毛と頻回に絡まる。まばたきするたびに絡まる。あ~~~~~~

 

おしゃれのためではないまつパ

就職してから、顕微鏡をみるときにまつ毛がめちゃくちゃ邪魔になり、パリジェンヌラッシュリフトをしばらくかけていた。毎回「真ん中からゆるく上がるようにですね!承知しました!」と元気に言われるが、ちょうどいいパーマは、技術的な限界もあるのか実現できたことはなかった。たしかに「根元は水平に近く、真ん中から先がカールしている」のだが、まつ毛の長さが仇となり、それでも大変なことになってしまうのである。

生活は大変快適になった。顕微鏡みやすいしコンタクトつけやすいし。でもほんとに似合わない。かけた当日~2週間は、毎日「早くパーマ落ちろ」と念じながら指で押し下げていた。3週間くらいしてパーマが取れてくると、最高に盛れてくる。

 

再度ビューラー派へ。ちょい上げまつ毛への憧憬

まつ毛が似合ってない3週間が苦痛だな、と思いながら2か月に1回まつパに通っていたある日。普段と違うアイリストさんが施術してくれた際、手が強烈に魚臭かった。昨日の夕飯、おさかなだったんだね。まじきつかった。まつパをやめた。

しばらくは素まつ毛でいたが、自然で悪くないもののやはり目に光がはいらない...そんな折見つけたのが、漫画家の六多いくみ先生のツイート。

 これや

 

それから、毎日下向きにビューラーをかけて、理想のカールを追い求めている。

なんとなく資生堂のビューラーを10年くらい使っていたけれど、目の形にあってないのか支柱があたり目尻側が真下を向いたままになるので、水越みさとさんの動画も参考にしながらコージーのを買った。

マスカラは、まつ毛が伸びない・キープ力◎・束にならないブラウンマスカラを追い求めてまだまだ迷走している。GIVERNYのマスカラは、まつ毛多少伸びちゃうけど、自然な仕上がりで割と良い。

加えて、まつ毛自体のコシを出したり抜け毛対策として、マジョマジョのまつ毛美容液を使い始めた。

 

ちょい上げまつ毛を求めて、旅はつづく。

【1月】今月買った服【Adam et Rope, UNIQLO, etc】

1年12着チャレンジが流行っているが、常にどうにもテンションの上がらないクローゼットで困っているのでそれ以前の問題である。適当な買い物をやめて好きな服だけのクローゼットを作りたい。多くなくていいから。点数、金額ともに目標決めずに、本当に欲しい服だけ買えているか記録する。

 

 

1 アダムエロぺのブラウス

洗練されていて、媚とは無縁だけどかわいいADAM ET ROPE大好き。黒ストライプと迷ったが白を買った。身長152cmなので結構丈は長いが、シルエットが大変よい。質感がシャツに近くややパリッとしているのもあり、フリルなのにやや辛口で着やすい。自宅で洗えるのでインナーとボトムを変えてがんがん着る。

 

2 FRAY I.D ウールのチェスターコート

MANTECOチェスターロングコート(LBEG-0)

アウターはSpick &Spanのモンスターパーカーで何とかしていたが、少しきれい目のがさすがに必要になった。1.5kgくらいになりがちな中で極力重くないものを選んだ。真冬に買うには少しうすいけれど、腕にかなり余裕あり、中に着込める。

 

2.5 急に冬服の量に限界がくる

冬はメイクもファッションも全くやる気がなくなる。それでも着心地神・サイズよし・自宅で洗える・低価格のGLOBAL WORK「メルティスタンドスリットプルオーバー」が大変気に入って、毎年買い集めて4色持っていたが、うち3色はくたくたにへたってしまい処分した。ある日、残ったブラックも外に着ていくには躊躇するようになってしまい、ついにセーター1枚になってしまった。無理。仕方ないのでUNIQLOへ行く。

 

3 UNIQLO ウォッシャブルストレッチミラノリブクルーネックセーター

ウォッシャブルストレッチミラノリブクルーネックセーター(長袖)

メンズの大人気セーター。着心地良いし洗える。春秋もいける。

 

4 ブラッシュドジャージーモックネックT

ブラッシュドジャージーモックネックT(長袖)

ブラッシュドジャージータックワイドパンツで着心地の良さは痛感していたので、これも買ってみた。大変良い。が、防寒具の毛やほこりがめちゃくちゃつく。なんで黒を買ってしまったのか。

 

5 ODETTE E ODILE アシンメトリーバックル フラット20↑ 

気に入ったローファーをかれこれ2億年くらい探し続けていたがなんか全部似たり寄ったりに見えてきて(実際そう)、そりゃ履き心地とか革の柔らかさとかいろいろあるのだろうが、渉猟にダレてきたころにひとめぼれして買った。やや細身だが慣らせばだいじょうぶそう。

 

 

 

合計金額:67,680円

買いすぎである。まぁ仕方ない。UNIQLOのところは相当妥協したなという反省があるが、かといってこれ以上金額だせたか・・・?というと躊躇するところがあるし、すでに結構たくさん着用しているのでまあいいか。

年明けログ 2023→2024

忘れないうちに、2024年のお正月について。富山県在住。

 

 

12月31日

後輩から借りた宝塚星組公演「こうもり」のブルーレイを再生しながらリビングの片づけをしていたら、いつの間にか手を止めて見入ってしまう。七海ひろきがすごくかっこよかった。

スーパーでみつば、にんじん、すりみ、お雑煮用に小さく切って売られた鶏肉を買い、ポケモンSVの図鑑を埋めながら昆布だしをとり、お雑煮をつくる。

 

夕方、車で小一時間の義実家へ。義父は上機嫌で『苗加屋』を出してくれた。「ボーナスは沢山もらったかい!?」と、ニッコニコで義祖父がやってくるので、おもわず正直に「ボーナスはもらったことがないです!」と元気に答えてしまったが、聞こえていないようだった。義兄、新婚の義妹も来て、紅白を観ながら義母が作ってくれた御馳走を囲む。今年も鈴木雅之がいちばんかっこいい。

1時間ほどすると、ようやく仕事納めの義妹の夫が到着し、あまったおかずを容赦なく食べさせられていた。ゲームの話、仕事の話をして、21時前にはお開き。

テレビの前に正座し、NHKゆく年くる年」の鐘の音で年を越した。

 

1月1日

~16時

9時に起きて、おせちとお雑煮をたべる。2023年は、スーパーで取り寄せたおせちがあまりに不味くて半分も食べられなかったが、今年の仕出し屋さんのおせちはめちゃくちゃ美味い。写真がない。

 

みかんを食べながら昼過ぎまでポケモンSVをして、わたしの実家近くの神社へ初詣に行く。20数回は初詣に行っている神社だが、鳥居の外まで長蛇の列なのは初めて見た。

20分以上並んでようやくお参りし、お守りを買っておみくじを引いた。

帰り際、姉夫婦と姪っ子が列に並んでおり、「あとでね」と手を振った。

 

15時過ぎ、我々に続いて姉夫婦も実家に集まった。2歳の姪っ子はなかなかお年玉を受け取ってくれない。東京在住の上の姉夫婦は、下の子が年末に病気をしたので今年は帰ってこられなかった。

 

16時~

早くご飯を作りすぎた母親が、テーブルにおかずをぼちぼち並べ始めていた。

16:06 当地では珍しく少し揺れた気がした。テレビで「能登で震度5強」と。まだNHKアナウンサーは落ち着いている。年始から5強はやばくないか、と話していたら

16:10 テレビの緊急地震速報とほぼ同時に強い横揺れがくる。スマホの通知がなっていたかは覚えていない。とっさに目の前にいた2歳の姪っ子をあぐらをかいた膝の上に抱っこし、物は落ちてこない場所にいたが念のため姪っ子の上からかぶされるように待機した。どんどん強くなる揺れに、姉は「え、やばい」と戸惑っている。60代低身長の母親が食器棚の扉(作り付けの吊戸棚。一応地震で開かない耐震設計になっている)を押さえようとするので、すぐ夫に代わらせた。

 

じきに揺れが治まる。とりあえずリビング・キッチンは大して物が落ちずに済んだ。日本一地震が少ないともいわれる当地は震度5強だったらしい。すぐに津波警報が出る。NHKの山内アナウンサーが渾身の低音、強い口調で「今すぐ逃げること!」と繰り返し始めた。幸い実家はかなり高台にあり、津波のおそれはなかったが、それを聞いていたらようやく「大変なことが起きた」と認識できて、急に怖くなってきた。

 

揺れていたときを思い返すと、恐怖も驚きもあまり自覚しておらず、膝のうえで姪っ子をあえてあやすように揺らし、「揺れてるねぇ」などと姪っ子が怖がらないように声をかけていた。低身長高齢母の代わりに夫を行かせるときは、「夫氏が行け」とかつてない低い声で、大して叫ぶわけでもなく割と静かなトーンで指示していた。この一連の反応は、落ち着いていたというより、たぶんピンチの時はそれなりに動転しながらも自己防衛というかパニクりすぎないように行動しがちなんだと思う。これは発見であった。発見している場合ではない。

姉(次女)に、東京の姉(長女)から電話がかかってきた。それだけでとても安心した。

 

いったん状況が落ち着いたため、とりあえず心を落ち着けようということで、夕食をみんなで食べ始める。みんなお酒は控えた。喉を通らなかったがとりあえず食べた。ちょいちょい大きめの余震が来るので、そのたびに姉か私で姪っ子をひざの上に固定する。。スマホ緊急地震速報(ピンポンパンポンピーンってやつ)に合わせて姪っ子を揺らした。あのとき安心させたかったのは姪ではなく自分だったかもしれない。

NHKが辛くなってきたので、姪っ子の保育園の発表会のホームビデオを観る。姪はあまりに踊りがうまくノリノリで参加するので、常にセンターだった。隣の男の子は、踊りながら鼻くそをほじって食っていて笑った。彼は一生知るまい、彼が鼻くそを食ったことで我々一家の心が少しだけほどけたことを。

 

なんだか疲れ切ってしまったが、姉とSwitchでポケモンSVを始めると、さっきの恐怖は忘れられた。ポケモン交換をして、進化のさせ方を指南して、1時間くらい遊んだ。遊び終わるのは不安だったけど、20時前には帰宅した。

自宅は、お風呂場や寝室、クローゼット内など、たくさん物が落ちていたけれど、幸い割れ物もなく大物家具も無事だった。

精神的に疲れ切っており、お風呂は怖いけど入って、とりあえず就寝。

 

1月2日

私も夫もそれぞれ午前は出勤し、職場の被害状況を確認。幸い大きな被害はなし。義実家も大丈夫そうだった。気になるのは、能登に実家がある職場の後輩。無事だといいけれど。特に職場LINEに連絡はない。

昼には帰宅。SNS地震の情報をついつい見てしまう。早くもXでは政府の対応がどうだのデマがどうだの、どうしても口を出さずにはいられない当事者ではない人々がけんかを始める。一方で火事、津波、倒壊の動画もたくさん出てくる。余震も頻回で大きく落ち着かない。とにかく地震のことから離れたくて、なぜか「VIVANT」一気見を開始した。

www.tbs.co.jp

Xで羽田空港の事故を知る。とても今は受け止めきれないため、これ以上知ろうとするのはやめておいた。もちろん翌日以降、本日に至っても、Xでは喧嘩の火種になっている。

 

1月3日

引き続きVIVANT一気見。結局女が添え物orヒステリックに描いてあるのは気になるが、何だかんだおもしろい。銀行・商社の内乱ドラマかと思ってたらスケールが1000倍くらい違った。VIVANT大ファンの東京の姉に、LINEで「これは伏線では!?」などと送りまくるが、姉は「ふふふ」しか言わない。モンゴル人俳優のBarslkhagva Batbold(通称バルサー)にドはまりし、Instagramをフォローした。

強い余震は続き、何度かドラマを一時停止して揺れがおさまるのを待つ。

 

1月4日

年明けから毎晩余震で中途覚醒しており、精神的に疲れ果てているが、この日が仕事始め。後輩の無事を確認でき安心。なんとなくSNSとの距離感もわかり始めた。昼休みに石川県のいくつかの自治体に募金をして、あとは祈るばかりと気持ちを少しずつ切り替えることができ始めた。

 

1月5日

東京の姉から「甘いものでも食べて心を休めるように」と、ミスドのLINEギフトをもらっており、仕事帰りにさっそく寄ってドーナツを4つ買って夫と食べた。心遣いがありがたい。

 

 

おわりに

少し時間がたったがとりあえず記録できてよかった。

 

災害時の心得のひとつ。たいがいの人間はド素人であり、我々が思いつく最善の方法なんて専門家はとっくに検討を終えている。SNSだとなんにでも口を出したくなるが、とにかくド素人は黙るべき、というのを自戒を込めて実践できた年始だった。

 

今年も来年も継続的に募金をし、いつか必ず被害地域にお金を落としにいくことを約束する。